2007年07月22日
二人の姫
県の文化遺産課の方と、各分野に詳しい先生方と一緒に、和歌浦の名所を巡りました。
11月にあるシンポジウムにむけての見学会です。20人が参加でした。

まずは「三断橋」を渡って「海禅院」にある多宝塔へ。
この下に15万個の「経石」が収められていました。
家康公の側室の養珠院(お万の方)
紀州藩主頼宜公のお母さんが、
家康の33回忌に日護上人の奨めで提案して、
天皇から一般まですべての階級の参加で、
約25万個の石に経文を書いて奉納したそうです。
今日は偶然、お万の方の命日でした。
午後から始まるお祭り事の準備をしていました。
「川施がき」といって経文を川(今は海)に流します。
現在は、公害がらみで海べりで燃やすそうです。
今の上人さんが大勢供養に来られるとの事。

続いて、「玉津島神社」で、聖武天皇ゆかりの地だという解説を聞きながら、
境内を見回すと・・
「衣通姫」(そとおりひめ)の名が付けられた、サクラの木がありました。
その美しさが、衣を通して伝わって来るという、絶世の美女だったらしい。
その名を頂いたサクラ、どんな花が咲くのでしょう。

いにしえの、二人のお姫様に思いをはせた午前でした。
11月にあるシンポジウムにむけての見学会です。20人が参加でした。
まずは「三断橋」を渡って「海禅院」にある多宝塔へ。
この下に15万個の「経石」が収められていました。
家康公の側室の養珠院(お万の方)
紀州藩主頼宜公のお母さんが、
家康の33回忌に日護上人の奨めで提案して、
天皇から一般まですべての階級の参加で、
約25万個の石に経文を書いて奉納したそうです。
今日は偶然、お万の方の命日でした。
午後から始まるお祭り事の準備をしていました。
「川施がき」といって経文を川(今は海)に流します。
現在は、公害がらみで海べりで燃やすそうです。
今の上人さんが大勢供養に来られるとの事。
続いて、「玉津島神社」で、聖武天皇ゆかりの地だという解説を聞きながら、
境内を見回すと・・
「衣通姫」(そとおりひめ)の名が付けられた、サクラの木がありました。
その美しさが、衣を通して伝わって来るという、絶世の美女だったらしい。
その名を頂いたサクラ、どんな花が咲くのでしょう。
いにしえの、二人のお姫様に思いをはせた午前でした。
Posted by のりちゃん at 00:52│Comments(0)
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